『ヨコハマ買い出し紀行』 のコミックカバーには、 作者である芦奈野ひとし先生からの、 短くも含蓄のある 「お言葉」 が記されています。 趣き深い、そんなお言葉の数々を、 まとめてみる事にしました。 日々に追われて、 心の潤いが枯渇してきたかな…? と感じたとき、 1つ1つにジックリと目を通してみてください。 当たり前だからこそ見失いがちな何かが、 あなたの心にふたたび、 清水のごとく湧きいずることでしょう… |
1巻
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お祭りのようだった世の中が
ゆっくりとおちついてきたあのころ。 のちに夕凪の時代と呼ばれるてろてろの時間、ご案内。 夜の前に、あったかいコンクリートにすわって。 |
2巻
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風景についてのおたよりに、
「沖縄に似た所がある」という方や 「北海道のイメージだ」という方がありました。 この場所は、そこに行ってみると拍子ぬけするほどありふれた、 そこら中にあるような所です。 |
3巻
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電柱が街の美観をそこねているそうです。世界的に。
すすんだ街は地下に電線があるといいます。 しかしめんどうなことに私達は「ないものねだり」。 未来のすっきりさわやかな空に、 物足りなさを感じなければいいんですが。 |
4巻
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路面電車は未来の乗り物だとか。
なんでも「町のじゃまもの」ってことで 取っぱらってみたら その分 車がふえて 不便になっちゃったそうな。 つまりは、そういうことなんでしょうね。 |
5巻
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昔、「あの時もっとしっかり見とくんだったな」
と思ってた場所に 10年ぶりに行って思うのは 10年前のその日にこそ、 よく見とけばよかったということです。 今見なければ、きっと 10年後もそうなんだろうなあ とも思います。 |
6巻
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山の中で草をかきわけていて
昔の海岸跡に出ることがあります。 空撮の写真をながめていて 海の中に川の跡を見ることがあります。 海面にとっては、10mや20mの水位変化など ほんの寝返り程度のことなんでしょうね。 |
7巻
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こどものころは
となり町の小学校にさえ ものすごい文化的人種的ギャップを 感じたもんですが 以前 中国の旅から帰ってきた時 成田からの町並も日本語も 中国と同じものに感じて びっくりしたことがあります。 年のこともあるとはいえ 人の頭のそういう雑なフォローぐあいは なんか好きです。 |
8巻
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近頃ごぶさたのなつかしいにおいは
考えてみると今は許されなさそうなものばかりです。 2サイクルエンジンの白煙とか コールタールでやねもへいもまっ黒にぬった家。 あとバスの床板の油とか…。 それになんでもいっしょに燃やしていたたき火の煙。 でも無臭の世界ってのも なんか体に悪そうです。 |
9巻
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においを記録するモノがほしいと
思ったことはありませんか? 「あの年あの日の夕方のにおい」とか 「あの駅のにおい」「あの本のにおい」とか。 音や映像のように保存・再生できたら。 そのにおいと気分をだれかと共有できたら…… いまのところ記憶という形で記録することだけができます 再入力時のみ再生される記録ですけどね。 |
10巻
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雨の日、泥の上にできる水たまりの
縁の形をぼけーと見てると、 衛星写真の海や大河の岸に なんとなく似ているように 見えてきます。 「星レベル」の造型が 足もとにあるので、 目の高さが一瞬、 衛星軌道上になります。 |
11巻
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「昭和ブーム」ということで
”あの頃はよかった”が強調されてますが いずれ「平成ブーム」も必ず来ます。 「平成の町」などが再現されます。 ”平成ってあったかかったよなー”とか言う 大人も続出します。 |
12巻
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15年前、歩いて1時間かかるけど
大好きな場所がありました。 10年前、バイクで10分のそこは、 わりとお気に入りの普通の道になりました。 5年前、車で5分のそこは、 ただの通過点になりました。 久しぶりに歩いて 行ってみようかと思います。 |
13巻
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「出かけたら、行きと帰りは別の道を歩くこと」。
昔なにかで読んだセリフですが、 時々気にとめながら歩きます。 |
14巻
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長いようで短いようで、
やっぱり長かった 一瞬の12年間です。 この時間空間が、いつか みなさんと一緒の なつかしく思える時代に なりますように。 |