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『ハイランドをご存知ですか? あそこからも富士が良く見えるんですよ』
縦長のカートに撮影機材をしまいながら、都内から来たという物腰の柔らかい
おじいさんは、そう言った。
ここは、『あじさい公園』。
葉山 の 大峰山 の斜面にある小ぢんまりとした公園で、その名のとおり、小さいながらもすみずみまで「あじさい」を楽しめる、かわいらしい場所だ。
季節は春。 4月の平日、時刻はまだ午前10時前だった。
水色の空が広がり、おだやかな風が流れる、そんなしあわせな春の午前…
周りには桜の木も多いが、すでに大方が葉桜となっており、緑が目立つ。
その木々の合間、西の彼方に、まだまだたっぷりと真っ白な雪をかぶった、水色の 富士山 が腰をおろしている。
おじいさんは、ダイヤモンド富士 を撮りたかったのだそうだ。
が、この付近からそれが観測できるはずであった昨日は、用事があって来れなかったという。
「だからせめて、桜の合間から見える富士を撮りに来たのです」 と、おじいさん。
友人が教えてくれたのだという。
その桜も、すでにほとんどが葉桜となっている。
「やはり、南は暖かいからですかねぇ…
毎年こうなんですか?」
石のベンチに座って、朝食代わりの菓子パンを食べる僕に、おじいさんはそんなふうに尋ねてきた。
「あ、いえ、僕も都内住まいなんです。 池袋から来ました。」
地元の地理に詳しい僕を、おじいさんは地元民だと思ったらしい。
また、桜とあじさいの合間になる今の時期、この公園は訪れる理由の無い場所ともいえる。 元々、マイナーな名所なのだ。 わざわざ都内から、この公園目指してやって来るというのは、普通は考えられない。
だから、それに続く おじいさんの、
「どうして、こちら(こんな所に)にいらっしゃったのですか?」
という疑問は、至極当然だったといえる。
『10年前の再現』…
ここは、僕が10年前に初めて三浦半島を訪れたときに偶然立ち寄った場所…
その旅は、以降の自分の旅の原点ともなった、個人的に非常に思い出深いものだったのだ。
デジカメを持つようになって3年。
10年という時間が変えた自分の物の見方、当時感じたさまざまの記憶の再確認を含め、自分自身を深く振り返るために、こうしてやって来ました。
…などと 個人の感傷 を鹿爪らしく語るほど、自分も若くはない。
初対面のおじいさんに鼻の穴広げてもっともらしく語る自分の姿を一瞬想像して苦笑し、「いやぁ、好きなんです。 ここが…」 とだけ答える。
おじいさんも、それ以上は聞かない。
最近、ネットでの若い連中との一方的なコミュニケーションにウンザリしていた自分にとって、お互いがお互いの距離に気を配りつつもそれをサラリとやってのける 大人の会話は久しぶりで、
「会話って こんなに楽しいものだったかな…」 と、ほんのりとした うれしさが、胸に湧いてきた。
桜の彼方の富士を撮影し終わり、機材を片付けつつ、「長者ヶ崎」 「立石」 「披露山公園」 「稲村ヶ崎」 など、地元かマニアでなければ分からない撮影ポイントの話を交わす中で、おじいさんの口から出てきたのが、『ハイランド』 だった。
ハイランド… 正式名称は、『鎌倉逗子ハイランド』 。
京急『新逗子』 の北2キロに広がる、巨大な住宅地だ。
おじいさんは今から、その敷地内にある 『夕陽台公園』 に行くのだという。
聞けば、そこからは 鎌倉の海 も見えるのだとか!
「お兄さんも、ぜひ一度行ってみるといいですよ?」と言い残し、カートを引いて坂を下りていくおじいさんを見送りつつ、
『もしかして、その夕陽台公園こそが、自分の探していた「鎌倉の海を見下ろせる広場」では…?』 と、少し興奮している自分がいた。
10年ぶりに訪れた思い出の公園で、偶然出会ったおじいさんの一言が、気がかりだった謎に終止符を打つ…
そんな、小説よりも奇なりな、ドラマチックな展開を期待して…
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