■ 『最後の丘』を求めて 2




先日、久しぶりに「現地系」のサイトさま
チェックしたり、探してみたりしました。


自分以外のファンの方が、三浦の風景の中に「ヨコハマ」を見出して、
その感慨を語っていらっしゃる日記を読んでいると、
自分の中の「ヨコハマ愛」と「三浦半島愛」が
心地よく再燃するのを感じます。





さて、そんなチェック対象サイトの1つに、
『虎箱!』(Krorainaさん)があります。


三浦半島 〜 湘南 の風景と、
そこに眠る遺跡めぐりを中心に紹介されているブログですが、
サイトに並べられた彩度の高い美しい写真の数々は、
非常に大きな魅力
です。


その最新の日記を読んでいて、
なんとも不思議な単語にぶつかりました。



『最後の丘』



僕が(勝手に)命名した、
139話アルファさんが空にむかって
「オーナーのカメラ」を投げ上げる、あの丘の名称です。





ん? でも、それはおかしい。


たしか日記の内容は、黒崎鼻の北にある 長井の丘
近年整備されて『ソレイユの丘』となった場所のはず。

どうしてここで「最後の丘」の話題が出てくるのだろう??
(「どうして?」と感じた理由は、後ほど述べます)



そう思いながら、日記を最後まで読み進んだ僕は、
椅子から転げ落ちるほどの衝撃を受けました。



その衝撃を体感したい方は、
旧版14巻の132ページ(新版なら、10巻・200ページ)の見開きを開いたまま、
件の日記の最下段にある 航空写真 をご覧になってみてください。



この白黒写真の、中央やや左下のカーブは、
形状・サイズとも、
まさに139話でアルファさんがカメラを投げ上げた、
あの道路そのもの
です!






さ、『最後の丘』の正体は、『長井の丘』だったのか…?








写真を見るかぎり、
『最後の丘』の正体は、
『長井の丘』である可能性がかなり高い…


しかし、それならどうして「僕は」、
今まで長井方面を探索に行かなかったのでしょう?


決して、ソレイユへのバスの本数が少ないので
面倒くさかった
とか、そういう理由ではありません(笑)

以下でちょっと、そのあたりを弁明させてくださいね。






『夕凪時代の長井は、
カフェアルファから意外に遠い』


カフェアルファ建設予定地として名高い黒崎は、
長井の南たった1キロに位置します。

両者は、海岸ぞいに歩いていけば、
30分かからずに行き来できる場所です。


この距離なら、アルファさんが「外歩き」で
たわむれに訪れることも十分に可能…

かというと、実は「かなり難しい」のです。



実は、夕凪時代の長井近辺は、
初声町一帯が水没することでできた入り江によって、
黒崎と分断されてしまうからです。


具体的には、『台の原のお社』のある辺りまで
ザックリと海水が入り込むため…





長井(夕凪時代の呼び名は 長井島に行くためには、
東の、県道214号のあるあたりまで大きく迂回する必要が出てしまいます。


その距離は、大雑把に10数キロ

とても気軽に歩いて行ける距離ではありません。








『ガソリンスタンドからの、進む向きが違う』


78話で、中部めぐりから帰ってきたアルファさんが立ち寄ったのは、
タカヒロが留守番をするガソリンスタンド

タカヒロとの1年の月日の流れを感じつつ、
帰宅するために歩き出すアルファさんですが…





その向きは、スタンドを左に見たときに、
画面奥です。

つまり、いつもアルファさんが
カフェアルファに帰宅するときの、おなじみの向きですね。

この直後、アルファさんは、
作中で初めて最後の丘から富士山を眺めます。




では次に、95話のアルファさんが、
拳銃を撃つために出かけた際のバイクの向きを見てみましょう。

このときは、スタンドの向きは同じながら、
画面手前に向かっているのが分かると思います。








どうしてこんな話をするかというと…


実は、アルファさんが拳銃を撃ちに行ったとされる
長井飛行場 跡地と、今の『ソレイユの丘』は、
ほぼ隣接した(あるいは同一の?)場所にあるのです。



なのにどうして、78話と95話で、向かう方向が異なるのか


両者が、アルファさんにとって
まったく異なる場所だったからではないでしょうか?






『富士山の見え方がネックに』


今回の『虎箱!』さんの日記を拝見してから、
僕が最初にネットを回って確認したのは、
富士山の見え方でした。


漫画内のコマを見てみると、
アルファさんが座る「最後の丘」と富士山の間には、
「道をしたがえた小さな丘」が存在します



こうした風景が、長井の西…

つまり荒崎に存在すれば、
「長井の丘」が「最後の丘」である動かぬ証拠になります。



…なのですが、調べてみた結果は
「可能性は薄そう」というものでした。


まず、電子地図で確認してみると、長井から富士山を見た場合、
その視線は下の写真のように、荒崎の岬の先端を
かろうじてかする程度にとどまってしまう
のです。

(赤い矢印の延長上に、富士山があります)






また、それを証明するように、
他人さまが「ソレイユの丘」の南の先端で撮った写真に
以下のような物がありました。

『ソレイユの丘(星見の丘)からの富士山』 (サイト『花の家』さま内)







以上の最初の2点から、
僕は早期に「長井方面」を探索対象からはずし…


最後の1点から、
「長井の丘」は「最後の丘」では無いのでは?
という結論に至っています。








しかし一方、
『長井の丘』 が 『最後の丘』 である可能性も、
捨てきれないものがあります。


以下が、その論拠です。






『実は、黒崎と長井の間は
「船」で行き来できるのでは?』


陸路ではバイクを使う必要があるほどの距離ですが、
を使うことができれば、
移動距離は現代とほとんど変わりません。


黒崎近辺から小船を出し、長井の丘あたりに船を寄せて、
そこからテクテク歩いて登ったとすれば…

アルファさんが徒歩で「最後の丘」に立っている光景も、
説明がつくような気がします。


(ちなみに、丘の下まで陸路でバイクで行って、斜面を徒歩で登ったのでは?
という見方もできますが、アルファさんが長井に看板を撃ちに行ったとき、
そのそばにバイクが停めてあります。

ならば、同じ長井の「最後の丘」近辺へもバイクで行けると考えるほうが自然です。
そこへ徒歩で行っていると見られる以上、何か別の交通手段での
行き来を考えるのが妥当で… その結果出てきたのが「船」でした。)







『富士山の見え方は、
厳密な裏づけとなりえない』


芦奈野先生は、厳密な位置関係よりも、
コマの中の絵としての美しさや、
ご自分の若かりし日の記憶(思い出)を優先して描いていると
思しき場面がところどころに見受けられます。


「最後の丘」に関しても、
そうした位置関係のアレンジの可能性があるわけで…

だとすれば、「富士の見え方」のみに頼って、
『長井の丘 = 最後の丘』説を否定してしまうのは危険
です。



また、『北の町の公園(高台)』のときのように、
作者である芦奈野先生「幼少時の思い出の風景」である可能性も、
頭の隅に置いておく必要があります。

つまり、荒崎公園近辺が今のように整備される前は、
アルファさんが見たような光景が広がっていた…
という可能性です。

荒崎公園がいつごろ造られたものなのかが
残念ながら分からなかったのですが、
昭和中期ごろだとしたら、
この可能性はグッと増すと思います。






『飛行場跡である可能性は大きい』


「ソレイユの丘」が、元『長井飛行場 跡地』近辺
というのは先述の通りですが…

だとすると、
それを裏付ける非常に有力な情報
コマの中にあります。



それは、旧版14巻・132ページの見開き。

アルファさんの右上に広がる、
コンクリ板らしきものの残骸です。


飛行場の滑走路面 と考えればシックリくる、これらの残骸…


それはつまり、

ここが、『長井飛行場 跡地』(ソレイユの丘)である証拠
と言えないでしょうか?








それに何より…

あの 航空写真。



あれだけ見事に道路の形状・サイズが合致しているものを見せられた以上、
上記の自分の反論(疑問)もなにやら空虚に感じてしまうほどです(笑)


『カブのイサキに見られるように、芦奈野先生と長井は関連深い』
という Krorainaさんの指摘も、それを後押ししています。



今後も一応、『最後の丘』探索は幅広く続けるつもりですが、
何よりもまず、『ソレイユの丘』に足を運びたくてしょうがなくなりました。



Krorainaさん、

貴重な情報を、本当にありがとうございました!




(2011/07/21 執筆)







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