新・「Aタイプの歴史」 3約 45年前
最初で最後の
「生物の人」、A6



「人間の五感の研究データ」
(A1〜A5)
と、

それを統合することができる
「記憶物質」(記憶キノコ)の登場によって


意外にも あっけなく、
人類は『人』の 開発に成功し、

その生物は
「A6」と ナンバリングされました。







ところが、この A6 には、

開発者たちが期待していた
「人」の姿とは ほど遠い、
『いくつかの 致命的な問題』
が あったのです。








まず、

『知能が低すぎて、
社会性が見込めない』

という点。



当初「人」の開発においては、

2つの重要な目的
想定されていました。




1つ は、絶滅が確定した地球上の人類の
「痕跡」と「DNA」を残すために、

半永久的に上空を周回させている
超大型航空機 『ターポン』を、

可能なかぎり長期間 運行さるための
『搭乗スタッフ』としての役目
です。



そして もう1つ は、

将来的に、
「人」の 量産 が可能になった際は、

「人類が残っているうちは、
その生活を補助する 働き手」として…

「人類が絶滅したのちは、
人間社会の営みを可能なかぎり地上で
再現し続けるための 演者(?)」として…


さらには、「いつの日か地上の環境が、
再び人間の生存に適する時代が来たときに、

ターポン内に保存されている DNA を元に、
地球上の生物環境を再現するための 再生者」として、


人類を含む 地球生命すべての 未来を
託すための存在
となってくれる事でした。





ところが A6 は、
その知能の低さゆえか、

『自分と同等の知能を持つ人間(子供)としか
コミュニケーションを持とうとせず』、


したがって、

大人の「教育」による成長の見込みが薄く、
先述の2つの役割を期待することが
非常に困難である

ことが 懸念されました。





加えて、

『その身体能力の、異常なまでの高さ』も、

まだ人間が残っている今の世の中、
特に町中においては
あまりにも危険がともない…


そもそも、人類との共存自体が 不可能
であろう、
と 結論されたのです。







そんな A6 に、

量産 の GOサインが
出されることは ついに無く…





しかし 廃棄・殺処分 するには
あまりにも人間に似すぎていて
しのびなかったためか、


開発陣の はからいにより、

関係者の一人である 初瀬野 氏 の故郷、
人のほとんど住まない方田舎の、その湿地帯に、
コッソリと放たれる
ことになり、

以降、A6 の消息は、
まったく不明になってしまったのだとか…



(初瀬野氏 自身も「人間の大人」であったため、
解放されたA6 が、氏の前に姿を現すことは
二度と無かったそうです)









この失敗によって、

『生物としての「人」』の 開発は、
完全に その道を閉ざされてしまいました。



時期にして、
『ロボットの人』が 世に現れる、
何十年(30年ほど)か前
の お話です。





ちなみに、この A6 ですが、

水上をも疾走する その姿から、
ロボット開発初期に使用された 水上艇 に ちなんで、

彼女を「ミサゴ」と呼んでいたスタッフが
一部にいたとか いなかったとか…





(ちなみに、一部の人々の間では
水上艇「鶚」から得た人間の感覚データから
「ミサゴ」が作られた
との話もありますが、

生物の「人」であるはずのA6に
感覚データを移植するのは矛盾があり、
この話は あくまで「噂」に過ぎないと見られています)











『ミサゴは「作られた生物の人」
ではあるけれど、
「ロボットの人」ではない』…



『記憶キノコと関連はあるが、
自然に成長して あの姿になったのではなく、
人工的に調整された個体だった』…



これが、現在の自分の結論です。



こう考えることで、
作中のいろいろな表現について、
合点がいくことも多くなると思うのです。




ミサゴの出てくる話の タイトル が、
ほぼ必ず 『ミサゴ = (特別な)人』
思しき付けられ方をしており、

「ロボットの人」とは また違った
特別な位置づけを連想させる
のも、



作中で、ミサゴに最も深い興味を
持っている アヤセに、

『登場時期にズレがあるので、
ミサゴはロボットの人ではない可能性が高い』

と 語らせている のも、



前後で合計して 100年近い 長い歴史
描いている当作品において、

記憶キノコ
さまざまな形態(人型・外灯・ビル)で
登場しているにもかかわらず、

その次の段階(成長した姿)
であるはずのミサゴが、
なぜか 1体 しか出ていない
のも、





つまりは、ミサゴが、

キノコを起源とした「人」でありながら、
自然な姿ではなく、


自然な姿ではない と言いつつも、
「ロボットの人」とは また異なる存在
(あくまで生物)


である証拠のように、
自分には思えるのです。









新・「Aタイプの歴史」4
『 初の「ロボットの人」、A7M1 完成 』

に 続きます






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