新・「Aタイプの歴史」 4約 35年前
初の
「ロボットの人」、
A7M1 完成



「A1〜A5」「記憶キノコ」によって、

『生物としての 人』の 誕生に、
一応の成功をおさめた人類でしたが、

肝心の「彼らとの共存」が不可能 と分かり、
頭を抱えてしまいます…



が、ここで開発者たちの脳裏に、
逆転の発想 が 舞い降りました。



「 生物の 人 」が ダメなら、

『 ロボットの 人 』を
作ってはどうか?





機械 であれば、

当然 その能力は
人間が 設計・設定できる ため、

新種の生物(A6)のような
想定外な事態は、
ほぼ無くすことができます。



「人間以上のものを造る」ためではなく、

『人間 と 同等』にするため に、

あえて 機械(ロボット)を 採用した

わけです。





この着想から生まれた
最初の 『ロボットの人』(A7M1)は、

A6 の 開発で得たテクノロジーを
多く流用
したこともあり、

当然ながら、生後まもない当時は、
その外観・性格面において、
A6 に非常に近いもの を示しました
が…






機械によって、人間の身体能力に
近く設定されている その体は、

人間的な生活にも、
「A6」とは比較にならないスムーズさで
適応していきました。






かつての開発関係者であった
子海石先生 の 教育のもと、
「人間らしい知性」を 獲得した彼女は、

やがて、自分の学び 体験したデータを
量産試作機 (A7M2)に 引き継いだのち、


本来の役割である
『ターポンの管理人』として、

人間のスタッフたちと共に、
空の彼方へと旅立ったのでした。









子海石先生が若い頃に挑んだ「東京湾横断」は、
データそのものは ロボット開発において、
ほとんど役には立ちませんでしたが…



そのときに彼女が体で得た経験は、

「ロボットの人の 教育」において、
深い意味を成した
のです。







空の彼方に行ってしまった「A7M1」は、

開発者・教育者以外に、
彼女を目(ま)の当たりにした人間が
ほとんどいなかったこともあり、

後世において「まぼろしの機体」
とも称されたそうです。







ミサゴをあつかった話のタイトルに
「人」という言葉が使われていながら、

なぜか、
ミサゴ と A7(ロボットの人)たち に
身体能力の大きな差があった
のは、

つまり、こういう理由によるものだったのです。




ミサゴは、『 生物の 人 』

A7シリーズは、『 ロボットの 人 』



共に、「五感」と「記憶」によって
作られた『人』
ではありますが、

その体を構成しているものが、
根本的に異なっていた
わけですね。


  






ちなみに、

若い頃の 子海石先生から、
「極限の状況で ある目標に挑戦する時の人間の感覚」
の データをとる実験が行われたのは、


未来の無くなった地球において、

せめて その痕跡を
ターポンによって残そうとする行為に
(DNA保存や、滅ぶまでの地表の観測データなど)

半永久的に挑み続けるロボットの人


を 作る必要があったからでは
ないでしょうか?




人間もロボットも
いなくなった世界で、ただ1人

「いつか再び この地球上に、
人間の文明をよみがえらせられる時が
訪れるかもしれない」
という、

か細い か細い希望だけを信じて、
歩き続けられる…



そんな

超人的な精神力を持った「人」

を 作る必要が…





新・「Aタイプの歴史」5
『 後に「夕凪」と 呼ばれる時代 』

に 続きます






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