■ アトリエ丸子
東京都 大田区 田園調布
【最寄】 東急東横線 『 多摩川 』
撮影 2007/11/22 ・ 2007/12/06




 画家を目指して勉強中のマルコは、多摩川のほとり、大田村の田園調布の丘のそばに、小さな自分のアトリエを持っています。


 さて、その詳しい場所ですが…

 「アトリエ丸子」の裏、つまり増水した多摩川の北東側に低い丘を持つ場所が有力です。

 となると、候補地は一気に減ります。

 ココネの言葉にあるように、ムサシノは平らな国
標高差はあっても、突発的な丘は少ないのです。

 事実、丸子橋付近の多摩川から環八までの1キロ弱で、地面の高さは 20〜30メートル変化しますが、道中はゆるい坂道が延々つづくのみです。





















 そんな中、候補に上がったのは… 田園調布にある『多摩川台公園』

 『亀甲山古墳』(かめのこやまこふん)とも呼ばれ、その名の通り、かつては豪族の古墳があった跡地だそうです。

 古(いにしえ)の豪族が住んだ土地に、現代の豪族(笑)が住み着いた土地…
それが田園調布なのでしょうか?



 この「亀甲山古墳」…
偶然にも自分、以前に一度訪れた事がありました。

 2004年の2月、近場で風景の良い場所を探していたときに地図で発見。
 多摩川のそばで、高さもあり、しかも公園。 これは景観が期待できそうだ! と、意気揚揚と向かったのですが…

 なんと、生い茂った緑が壁となって、多摩川がクリアに見えないのです。
すごく寂しい気持ちで帰宅したのを憶えています。


 それからしばらくして「ヨコハマ〜」にモデルとなった数々の土地があることを知り、どうもその1つが「亀甲山古墳」であるらしい事をネットで知って仰天。
 しかし、三浦半島方面のモデル地を優先して追ったため、こんなに後回しになってしまいました(笑)

 公園という、雰囲気の良い場所であることからも、ここがモデルとなった可能性は高そうです。



 『亀甲山古墳』へのアクセスは、東急東横線『多摩川』すぐそば。
西のほうに見えている丘が目的地です。

 隣接する『多摩川台公園』と合わせて700メートルほどの細長い敷地を、ゆっくりお楽しみください。 この丘の南西斜面のどこかに、将来、ロボットの娘さんがアトリエを構えるのです…(笑)


 ちなみに自分は、「多摩川台公園」に古墳があることを看板で知って、「この丘の向こうにあるのだな!」と5メートルほどの小さな丘を登ってみたのですが、すぐに下り階段になって、砂利敷きの小さな平地に出てしまいました。 見回しても古墳は無し…

 不思議に思って振り返り、そばの看板を見て愕然としました。 
なんと、今 越えてきた、このちっぽけな丘が古墳だったのです。

 ババーンと巨石が露出しているような古墳を期待していたのに、「地面の下にありますよ」て、そりゃあんまりでは?

(写真は、公園敷地内のさまざまな風景…
 丘の南西部の入口付近はすぐ道路なので、なかなか撮影が困難でした)












 ちなみに、マルコのアトリエの建設場所候補地として、もう1つ 浅間神社の南西斜面』 があります。

 「亀甲山古墳」から、川ぞいにほんの100メートルほど南下した所にあり、やはり小さな丘になっています。

 根元には2階建てで横長の雑居ビルがあり、外まで広げた仕事場の懐かしい雰囲気は、まるでアトリエ丸子のよう… て、見た目、全然違いますがな(つっこみ)
 写真は、建物付近の比較的大人しい箇所を撮っています。



 ただ、作中のココネが、等々力方面から歩いてきて線路をくぐった描写が無いのは、そばの頭上を東急東横線が走るこの場所にとって矛盾点です。

 モデル地としてはちょっと説得力不足かな…?










 ご存知の方も多いでしょうが、多摩川の東京側の堤防道のすぐそばには、実は 丸子川 という小川も流れています。(丸子橋のすぐ北で、多摩川と合流しているようです)

 また、かつて東急多摩川線『沼部』『丸子』だったそうです。


 「丸子」がつく地名は神奈川県側なので、そちらがマルコの命名の起源とファンの間では考えられがちですが、東京側にもけっこう由来がありそうですね。

 だからこそマルコは、大田村在住なのでしょう…



 なお左の写真は、「多摩川台公園」のすぐ南にある交差点付近で撮影しました。
5羽ほどのカモが、ゆらゆらと水面をただよっていました。





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