■ 元桟橋 | |
茨城県 かすみがうら市 牛渡 | |
【最寄】 不明 | |
撮影 2014/06/11 |
ヨコハマ買い出し紀行のモデルとなった場所で、 「有名な割に、実は いまだに特定されていない場所」 のランクを作ったら、間違いなく上位に食い込むのが… この 『元桟橋』 ではないでしょうか? 第40話 『月夜見』 において アヤセ が、そこから動こうとしない 相棒カマス に付き合わされて、黙々と時間をつぶした場所が、水辺のバス停 『元桟橋』… そのサビた標識には、『霞ヶ浦バス』 と、これでもかと言わんばかりの大ヒントが掲げられ、これで特定できないほうがどうかしていると思わせるほどの場所なのですが… 実は、ここから答えに至るまでが難関なのです。 というのも、 そもそも 『霞ヶ浦バス』 なる路線が存在しない んですよね(苦笑) Google で、「霞ヶ浦 + バス」 で検索してみても、出てくるのは 『(魚の)バス釣り』 情報 ばかり… 一見ありそうな地元のバス路線自体が、そもそも芦奈野先生の作りものだった(多分)… という点で、まず出鼻をくじかれます。 さらに、『元桟橋』 という、これまた実に 「ありそう」 な名前のバス停についても、さっぱりネット検索に引っかかりません。 たまに引っかかってくるのは、ヨコハマ現地系ファンによる、 『元桟橋を探しましたが、見つかりませんでした…』(泣) 『霞ヶ浦が広すぎて、どこから手を付けていいのか分かりません…』(泣) といった、無念のレポートばかり… それほどに広く、しぼりこみが難しいのです。 霞ヶ浦 という湖は… |
では、自分はどうだったかというと… 実は1つ、心当たりがあったのです。 それは、霞ヶ浦の南東の端にある、『水郷筑波国定公園 天王崎園地』。 この公園(?)に、比較的有名な桟橋があるらしいという情報を、2007年ごろにネット検索をしていて、たまたまつかんでいたのです。 ネットの画像検索で見つけた件の桟橋には、「先端に小屋が無い」 など、漫画内の風景との相違点はありましたが… 近辺に 他に有名な桟橋が見当たらない以上、これを元に創作したのが 『ヨコハマ版 元桟橋』 なのだろう… と考えたわけなのです。 で、「いつか この事実を公表して、ヨコハマファンをビックリさせてやるぞ〜。 その時は、今まであえて書かなかった「各話感想」の第40話にも、そのいきさつを書いて自慢するぞ〜」 と思っているうちに、 気づけば 7年もの月日が流れておりましたが… (こらこら) そして 2014年 6月。 いよいよ現地に行く覚悟(?)がかたまった自分は、予習として、久方ぶりにジックリと 第40話 を読んでみたのですが… この期に及んで、『桟橋の彼方(の方向)に、 満月が見えている』 ことに気づいてしまい、 イスから転げ落ちるほど仰天・落胆いたしました。 というのも、満月というものは、「必ず太陽の反対側に出るもの」 なのです。 また、時系列から考えると、このシーンは 「夕日が沈んで すぐ」 ぐらいのシーンと考えられます。 ということは、この月は、東 から昇ってきたばかりであり、アヤセの向いている桟橋のある方向もまた、東 と考えるのが自然なわけです。 ところが、僕があたりを付けていた 「天王崎園地 の 桟橋」 は、岸から垂直に、南西 に のびております。 これを、漫画内と同様の視点で(横から)眺めれば、その方向は当然 南 〜 南東 になってしまい… つまり、天王崎園地のそれを 『モデルになった桟橋』 と考えるのは、ちょっと… というか、かなーり無理があると言わざるを得ないのです。 ガーン… |
そんなこんなで、出かける気まんまんだった心がポッキリ折れて、しょげかえっていた僕だったのですが… そのときフト、『今回判明した情報を元に、新たな 「現地候補」 をしぼりこめるようになるのではないか?』 と思い当りました。 つまり、今回 アヤセが向いていた方角が 東 と 分かったことによって、以下の事実が自然に確定していくことに気が付いたのです。 - 月が東なら、それを正面に見ているアヤセのいる場所は 桟橋の西 - 東の月に対して横たわって見えている事から、 桟橋は 北のほうに根元があり、南に向かってのびている - つまり この桟橋は、南に水面の広がる、北側の岸 にある また、バス停標識に 『土浦ゆき(行き)』 と書かれていることと、 三浦 〜 横浜間 のような比較的近距離でも、移動に長時間を要しているアルファさんたちから見て取れる 夕凪時代の交通事情 をあわせて考えれば、 このバス停が 土浦からさほど離れていない と考えるのが自然です。 以上を合わせて考えると、一見広すぎるこの霞ヶ浦も、調べるべき範囲はずいぶん絞られるのではないでしょうか? というか、事実上、 『JR土浦駅 の東の、沖宿 〜 加茂 〜 牛渡 の一帯』 か、 霞ヶ浦 南東の入江の『稲荷ノ鼻』 … あとは、北端の 『碑浦』 がせいぜいだと思うのです。 (下マップの明るい部分が、該当範囲です) |
と、ここまで調べて満足し、 「今回こそ、これを僕より先に見つけたヨコハマファンはおるまいww」 と確信して、 「ヨコハマ買い出し紀行 + 牛渡」 で 検索 をかけてみたところ… ありましたがな。 ズコーーー  ̄|_|○ うちの掲示板にもたまに書き込みに来てくださる なまさん が、昨年の4月 に、現地に足を運ばれたようで、その日記がブログに残されておりました。 う〜む… さすがは 茨城 を地元に持つ なまさん です。 県外者の我々と違い、すばやくこのポイントに気づけるあたりは「さすが」としか言いようがありません。 ここしばらく、他サイトの現地考察の皆さんに連敗中の自分ですが、いやいや、次回こそはw! 気長に当サイトの更新をお待ちくださいね。 ちなみに以下は、この 「牛渡の桟橋」 を撮影された方々のページへの、こっそりリンク(笑)になります。 ■『マッピング霞ヶ浦』 さま ■『まほらにふく風に乗って』 さま |
ちなみに、後日あらためて近辺のバス(廃止されたもの)を調べてみたところ… かつて、『関東鉄道バス』 の路線の一部が、この近辺を走っていたらしい情報を見つけることができました。 情報源は下記サイトさまです。 なお、当時のバス路線図は、鹿島鉄道 『玉造』 駅 (2007年 廃線) の駅舎内に設置されていたようです。 ■『かれいど通信 on WEB』 さま内 ■『フォト575お散歩写真日記』 さま内 ■『クラッチ 鉄道貨物部屋』 さま内 『フォト575お散歩写真日記』さま によると、「後から建設された JR鹿島線・鹿島臨海鉄道 が表記されていない」 とのこと… これらの2路線は、いずれも1970年ごろに敷かれたものだそうですから… この路線図は下手したら、 45年以上も前のもの (2014年現在) かも…? アヤセの過ごした風景は、あるいは芦奈野先生の 幼少時の 思い出の中に残る風景 なのかもしれません… |
2014年9月になって、ブログ 『Every day?』 管理人の なまさん とお話した際、以下のようなことが明らかになりました。 『あの桟橋状のものは、実は鯉の養殖用の生け簀(桟橋ではない)なので、「元桟橋」の名称のもとになったものは、別にあるのかもしれませんね』 い、言われてみれば、漫画内の描写でも あの建造物は、水面から1メートル以上高い位置に足場があるように思えます。 大きな船(15メートル程度を超えるような)用の桟橋なら、そういう場合もありますが、全てが現在に比べて小規模な夕凪時代において、しかも明らかに簡素な造りになっているこの建造物を「桟橋」と考えるのは、たしかに、ちょっとおかしいですね… ということで、この建造物のことを、上のほうで 「桟橋」 と称していた自分ですが、これは撤回します。 その部分は、『生け簀』 と読み替えてお読みなってくださいね。 そして、あれが桟橋でなかったことは確かに残念ですが、なまさん もおっしゃっておいでの通り、 『別の場所に、地名のもとになった桟橋がある』 可能性が高く… それはイコール、この場所を特定する重要なヒントが 1つ増えた ことと同義でもあるのです。 やはり、ファン同士で意見をすりあわせるのは大切ですね。(^^ 長年「謎」とされていたヨコハマ名所の正体に、ジワリジワリと近づけていけている感覚があり、久しぶりにちょっと興奮しています(笑) |