■ 人型キノコの正体 (後編)



「前編」を未読の方は、まず こちら からどうぞ。






後編では、『人型キノコ』の正体の結論に至る前に…

それに関わるいくつかの疑問を検証して、
最後に僕の結論を述べてみようと思います





■『キノコは、自然発生したものでは?』


海面上昇などの大規模な環境変化で、
「人型キノコ」という不思議な新種が生まれるようになったのでは…


前に一度、そんなふうに思ったことがありました。


ただこれは、まず無いと考えられます。

『「地面の記憶」を養分としているらしい描写のあるキノコなのに、
なぜか「人間の記憶」に関してだけ生えている』

という矛盾があるからです。


キノコが本当に自然発生したものなら、
犬とかネコの記憶を再現する事だってあるのではないでしょうか?

アヤセもこの点に関して、
『なぜ 人間の生活の思い出が
こんなに特別あつかいされているんだろう』

と疑問を抱いています。






ちなみに彼は直後に、
『私達だけが 頭の中で勝手に見ているんだろうか』
とすら言っています。

ここまでくると、キノコを見ている生物
(アヤセの場合は人間に関する地面の記憶だけが、
心に作用して「見えるような気持ちになる」のがキノコの能力であり、
もはやロボットの人とすら関係なくなってしまう感じです。

これはまあ、アヤセなりの、
やや情緒的な空想にすぎないと見るべきではないでしょうか?



結局、キノコの発生は自然的なものではなく人為的なもの。
科学の力が生んだ生物と見るのが、自然な気がします。





■『人型キノコが育って、
直接「ロボットの人」になるのでは? @』


『アルファタイプの歴史』において、
水神さまを失敗段階の「A5」、ミサゴを直系の「A6」としている僕ですが、
これを逆にした見方もあると思うのです。

つまり、ミサゴのほうが失敗で、水神さまのほうが直系

例えば水神さまを、あのまま100年、200年と放っておくと、
「A7」に成長していく、という考え方です。


あるいは、A7とミサゴはよく似ているので、
「キノコは長い年月をかけて、A7やミサゴになる」
という見方でもいいですね。




ただそれだと、ちょっと矛盾が目につきます。


まず、『水神さまをはじめとするキノコたちが、
各地にヒッソリと打ち捨てられたかのように散在している』
点です。





もし、人型キノコがロボット開発の成功例なら、
研究所などで大切に育てて、ロボットの人の量産に使用すれば良いのに、
どうして各地に散布したかのように(伏線)散らばっているのか?


アルファさんやアルファー室長の生い立ちを見ると、
生まれたばかり (というか、「人」の姿が整ったばかり?) の彼女たちは、
幼児のような単純な思考しかできていない
ようです。

わざわざ屋外の、しかも辺鄙(へんぴ)な場所で栽培していては、
ある日「人」の姿にまで成長したとき、
わけも分からずどこかへ歩いて行ってしまう危険もあります。

(「外で生えているのは、自然発生した部類だからでは?」という反論は、
先述のとおり矛盾があります。)



これが1つ目の矛盾です。





■『人型キノコが育って、
直接「ロボットの人」になるのでは? A』


そして、もう1つの矛盾は…


『各地にあれだけ野良キノコ(?)が散在しているのに、
その成長型であるはずのミサゴが、
どうして1体しか確認されていないのか?』
です。






なるほど、キノコの成長には圧倒的な時間がかかるので、
ミサゴぐらいまで成長した個体は数が少ないのかもしれません。

子供の前にしか現われないところがあるので、
警戒して姿を見せないだけ、という見方もできます。



でも、それにしても、
人型キノコのさまざまな個体は作中で描写されているのに、
ミサゴ型の生物は、なぜかミサゴしか出て来ない。



この矛盾は大きいです。

僕はこれを、作者である芦奈野先生の中に、
もともと『ミサゴは単体』という思いがあるからこそ、
自然にこういう結果になったのでは?
と推測します。



それもあって、「キノコ ⇒ アルファ型」はまだしも、
「キノコ ⇒ ミサゴ」の過程をつなぐものをほとんど感じられず…

何かこう、両者のつながりがプッツリ切れてしまっているというか、
道が分かれてしまっているような印象を、作中から受けるのです。



以上から、

『ミサゴとアルファ型には数々の類似点があるが、
ミサゴとキノコには「水辺」と「長寿」以外に、
実はあまり類似点が無い

『人型キノコは、たしかに人為的に生み出されものではあるが、
ロボット開発の完成形ではなかったのでは?』


の2点が垣間見えてきます。




何より、第83話で語られている通り、
アルファー室長ミサゴには類似点が多い。


「ミサゴとキノコ」 「ミサゴとA7」 「キノコとA7」

この中で一番類似点が多い関係として、
僕が『ミサゴとA7』を挙げたとき、
皆さんは反対されるでしょうか?

おそらく、しないと思います。


『ミサゴという存在から、アルファ型に至る過程を想像したとき、
『他のどの特殊生物よりも、A7に近い生物として考えるべき』

だと思うのです。


そこから導かれる結論は、
『キノコは、A7の直系ではない』 です。








非常に長い文章におつきあいいただき、
ありがとうございました。

しかし、いよいよ結論に至るときがやってきました。


『人型キノコ』とは、一体なんだったのか?

何の目的で、生み出された生物だったのか?






結論です。



彼らの正体は、やはり 失敗作 だったのです。






当初こそ、「ロボットの人」となるべく
作られたキノコたちでしたが、
問題点が多すぎました。


「最終形態になってもオリジナルを完全再現できない」
(もともと「記憶」という、細部がボケたものを元に
形成されていく生き物ですから、無理もありません)


「脳波はあるが意思がない」
(それでは「人」とは言えません)

「成長が著しく遅い」
(滅亡が近い人類にとって、これは致命的でした)


以上から、とても「人」の代わりなど務まりそうになく、
研究を断念せざるを得なくなったのです。



しかし、自分の子供のように育ててきたキノコたちを
単なる失敗作として破棄することに忍びなかった開発者たちの、
『せめて、別の目的を与えて生き長らえさせたい』という思いが、
上層部に1つの提案を提出させました。


つまり、ロボットの人 としてではなく…


『人間のいた証を、形状として残す役割』を、
この生物に託してもらえないだろうか? という提案です。












これは、僕らが生きるこの時代から、何10年も未来のお話です。






その生物は、『盆地の町』付近で研究されて生まれましたが…

ある日、その研究が行き詰まってしまいました。


その生物とは、

『地面にしみこんでいる「人の記憶」』 を栄養として育つ、
「人」を目指して作られるも、
結局は「人」になれなかった生き物たち




研究員たちは悩んだ末、
研究財源であった「国」の許可を得て、
その生物たちの胞子を研究所の外に解き放つことにしました。


一部は、丘の上の公園のあるあたりに…

残りは、町の中を流れていた『わりと大きな川』へ…



川を流れ下った胞子たちは、

広い海へとそそがれていきました







後の世において、キノコが水辺(入江など)に
重点的に生息していたのも当然の話です。



彼らは一度海へと注がれ、海から帰ってきたのですから





『景色が良い場所』に生えやすいのは、
その光景がしばし人の足を止め、
地面に「人の記憶」がより強く残ったから
です。




アルファさんの最終話の言葉、
『昔から人々がたたずんでいた場所 地面がおぼえている「人の記憶」です』
という言葉が、それを示しています。




また、丘の上に捨てられたキノコたちは、
地面がいつも見おろしていた盆地の町のビルの記憶を栄養として、
その姿を模して成長しました。


当然、完全なオリジナルの再現はできず、
窓もなく、形も微妙にいびつな直方体になるにとどまりましたが…





同様に、人間を模したキノコたちも、
『人間のような顔が出た状態』を限界に、
これ以上「人」に近くなることありません


キノコたちは、「ロボットの人」にも「ミサゴ」にも成らず、
あくまで『人間に関する記憶を地面から得て、
形にする事しかできない生き物』
だからです。








それでもそこには、
キノコたちの生き残りを願った研究員たちの思いと…


この星から「人間」という生物がいなくなった後に、
せめて、かつて「人間」という、こんな姿をした生物が、
地上に生息していたのだという痕跡だけでも残したい…


そんな、当時の人々の悲痛な叫びもまた、
込められているのです。



誰に宛てたでもない、

しかし誰かに届くことを信じて世に放たれた、

自分たちの生きた証を形にしてほしいという願い




そんな生みの親の切実な思いを、
無言のうちに背負わされた、ある意味で悲しい生き物


それが、『人型キノコ』だったのです。





これからも、地球の水位は上がっていくことでしょう。


でも、この広い海の海水自体にそそがれた「人型キノコの胞子」は、
水位の上昇に関係なく「新たに生まれた岸」に気ままに打ち上げられ、
そこに残る「人の記憶」の強さに応じて、
ゆっくりゆっくりと『人の思い出』の形を成していきます



しかし悲しいかな、同時にそれは、
すでに地上から絶滅した生物の形でもあるのです。


それでも、
「せめてそんなものだけでも、未来の地球に残っていってくれるのだ」
と考えたとき、絶滅を運命づけられた当時の人類は、
ささやかながらも、どれほど慰められたことでしょう…





のちに夕凪の時代と呼ばれる てろてろの時間。

アルファさんたちロボットが、人の気配にふり返る時…


そこには、今はもう存在しない、
自分たちの生みの親である『人間』という生物の、
生きていた証を見るのです。












長文にお付きあい、ありがとうございました!


長文の割には1日でまとめあがってしまい、
我ながら感嘆しました(笑)


まあ、それぐらい気になっていたのでしょうね。


「新しい結論が出た」

「でも、自分の考察はできれば否定したくない」



そんな悶々とした日々は、言ってみれば、
「近所の駄菓子屋でアメを盗んでしまった子が、
謝るべきか、しらを切りとおすべきか、悩みつづける姿」

と似ていたように思います。(そうか?)




なお、当考察内では、アヤセの
『私達だけが 頭の中で勝手に見ているのだろうか』
を却下していますが…

いつか、『こちらこそ事実』という視点で、
改めて「人型キノコ」を考察したい
気持ちがあります。

気長にお待ちください。 10年くらいのスパンで(笑)




前回の『マルコの恋』同様、
我ながらとても楽しんで書けた考察でした。

それでは!



執筆 2010/08/11





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