新・「Aタイプの歴史」 2 | 約 50〜45年前 | ||
5つの感覚を 束ねるもの |
なお、以後 この考察内では、 分かりやすくするために、 このキノコを 水神さま や 人型キノコ ではなく、 『 記憶キノコ 』と呼称しようと思います。 ちなみに、 このキノコが 人型 になるのは、 「それが本来の形」というわけではなく、 地面の記憶を形状化した結果、 たまたま 人型 や 外灯 や 建物状 に なっているだけのこと です。 だから きっと、 あの「ビルのような直方体」にもあるのです。 『 脳波 』が… |
■【記憶キノコは、自然物である】 | |
★記憶キノコの生物的特徴は、 植物のそれに非常に近い ようだ。 人間が作ったものではなく、温暖化によって生じた 植物系の 新種・変種 だからではないだろうか? ★アヤセの話では、 「あそこ(ビルキノコのある山頂)へ向かう道はなく、 過去にも何かが建てられた記録はない」とのこと… キノコが自然に繁茂した証拠 と考えられる。 ★記憶キノコが「夕方のきれいな公園」のそばの山 に、 大量に存在しているのは なぜか? 「人」の開発後に、不要になって(?) あの近辺に まとめて廃棄されたのかもしれないが、 「なぜ わざわざ、あの場所を選んだ」のか、 その理由が分からない。 あの山に 廃棄 したのではなく、 元々 あの山が、キノコたちの生息地だった と 考える方が、自然な気がする。 ★アヤセが、「なぜキノコは、人間の生活の思い出だけを 特別あつかいしているのか?」と 疑問を抱いているが、 これは 結果論 にすぎないと思う。 キノコは別に、「人間の思い出(記憶)だけを 特別あつかい」しているわけではなく、 そもそも、そうした高度な記憶能力を持つ生物が、 地球上には人間しかいないだけの話 では? |
■【記憶キノコは、人工物である】 | |
★記憶キノコの生態は植物に近いが、 必ずしも自然物とはかぎらない。 「パワーヒマワリ」の 例に見られるように、 既存のものに人類が手を加えた植物である 可能性も、捨てきれない。 ★記憶キノコが、「夕方のきれいな公園」のそばの山に、 大量に存在しているのは なぜか? 「あの山近辺が、キノコたちの故郷」と言うのであれば、 『なぜ あの山近辺が、キノコの故郷となりえたのか?』 『なぜ あそこだけ、大量に繁茂するのか』 についての説明が、同時に必要だと思う。 漫画内の描写を見るかぎりでも、あの山には、 特別なんらかの「地形的・気象的な特性」が あるようには見られない。 逆に、人間によって開発され、役目を終えたのちに、 あそこに一括廃棄(?)された… と考えれば、 1ヶ所に集中して存在している説明もつく。 ★アヤセが疑問を抱いている通り、 「人間の生活の思い出だけを 特別あつかい」 しているキノコの生態は不自然。 これは結局、キノコが人工物(人間の思い出 専用) である、証拠 では? |
■【それ以外の情報】 | |
★アヤセの話では、夕方のきれいな公園 の下の盆地には、 「わりと大きな川」が流れているそうです。 記憶キノコの胞子(?)が、その川に乗って海に辿りつき、 そこからじょじょに 水辺を中心に 生息範囲を広げている のが、約45年後の 漫画内の時代 なのではないでしょうか? ★道志みち や、夕方のきれいな公園近辺の大通りに、 集中して外灯植物が生えているのは、 これらの道を通って 記憶キノコの運搬がされた からではないでしょうか? 運搬の道中で、道に落ちていった胞子(?)から、 新たな記憶キノコが生えて、道ばたの外灯植物になった… と考えれば、ツジツマが合うように思えます。 ただし、その運搬の「方向」… つまり、『山 → 人を作る研究施設』か、 『人を作る研究施設 → 山』かは、 この情報だけでは 残念ながら確定できませんが。 加えて アヤセ は、あの公園のある場所のことを 「富士山近くの あの道(道志みち)とは違って」と、 両者が場所的に大きく異なっている様な言い方も していますから、 必ずしも「公園 〜 道志みち 〜 研究施設」 という流れではないかもしれません。 ★地元のおばあさんの話では、ビルキノコの山ある場所は、 かつては町であり、「駅」もあったそうです。 ふと、「どうして 鉄道(貨物車両)で 運ばなかったのだろう?」と、疑問が湧きました。 あるいは、ここのキノコは鉄道で運んだのかな? その場合、この公園のキノコと 道志みちの外灯植物は、 系統が異なるもの … と考えられそうです。 |