■ アルファ室長と、
ターポン
 (暫定)





先日、『新・A(アルファ)タイプの歴史』
というコンテンツを完成させましたが、


その内容について、

制作の際の議論にも加わって下さった なまさん から、
「自分は、そこは こう思うのですが」 という
いくつかの意見が、掲示板に寄せられました。

(アルファ室長や、ターポンについてです)






で、その書き込みの返信
書き始めたのですが…


その質問が、結構いいところを突いていたためか、

語りたいことがポンポン出てきて、
すごい文章量になってきてしまいました(笑)



そこで、『これはもう、いっそ、
うちの新たなコンテンツにすることを前提に、
テキストを起こすか!』
と、方向転換。



なまさん に返信しつつも、

アルファ室長・ターポンに関して、
自分が今まで言い足りなかった考察


についてもふれる、

そんな文章に仕上げた結果が、このページです。






元が 「掲示板への返信」 にすぎないため、
必ずしも 「まとまりのある考察」 には、
なっていない
と思いますが、

いずれ、アルファ室長・ターポンについての
シッカリした考察を完成させるための、

「草案」 のようなものと考えて
読んでもらえれば、さいわいです。(^^











ふきさんはアルファー室長の役割は
「人間もロボットの人も居なくなった世界を見続けること」
とおっしゃってます。

ロボットの人は A7M1 → M2 → M3 と量産化が進んで、
機械としての完成度は量産型の方が高いと思うんです。

なのでより長生きというか、長持ち?するのは
M3 の人々と考えるべきなのではないかと。





たしかに、後継機・量産機 というものは、

その前に存在した機体の運用の中で、
その機体の弱点が分かっている分、

改良を加えられるという利点がありますね。




ただ、必ずしも、

「量産型のほうが完成度が高い」

とは限らないのではないか…?
と、僕は思うのです。




というのも、量産型 というものは、

『試作機から、量産に適した部分だけを抽出し、

逆に、量産のさまたげになりそうな
特化した機能・高価な箇所 を取り除いたもの』

である場合が多い
からです。






たとえば、アニメ 『機動戦士ガンダム』 の序盤で言えば、

ジオン軍の一般兵の搭乗する 「量産型ザク」と、

隊長機として少数運用されている
『ツノのついたカスタムザク』 とでは、

後者のほうがグッと高性能です。




ガンダムを圧倒する、A7M1 (違




物語中盤になると、今度は連邦軍側が、

「ガンダム」 からフィードバックされた
戦闘データをもとに、「ジム」 の量産に成功して
一般兵に搭乗させていますが…


ジムの 悲しいまでの弱さと
かませ犬っぷり(笑) は、ご存知の通り
です。




ガンダムより先行して、
シャア専用ズゴックに腹部を貫通される、A7M3 (違







実際、「ヨコハマ」世界でも、

A7M3(ナイ) にとっては別に大したことのない
「ベロで速度が分かる」コード を、

A7M2(アルファさん) がくわえてみると、
『本人が飛行機そのものになったかのような、
機体との一体感』 を実感してビックリした…


というエピソードがあります。







これは、A7 の量産を進める過程で、


『A7M1 の本目的である
「ターポンの操縦」 においては、
必要不可欠の ベロセンサー も、

人間との共存を目的とした量産型(M2・M3)にとっては、
高価であったり、それほど重要ではない機能の1つだった ので、

じょじょに削除していった(低下させていった)』


結果ではないでしょうか?








また、それ以外の理由として、人類には、

とにかく1日でも早く、ターポンを
離陸させる必要があった
のだと思います。



理由は、『海面上昇』 です。




ターポンほどの超巨大航空機を
離陸させられる規模の空港
は、

当然、数が限られていたはず…



しかし、あの当時、

低地にある既存の空港施設は、
海面上昇によって、次々と水没していた

と考えられます。



なにしろ、子海石先生が若かった頃の
馬堀海岸 の様子 (海面上昇は2〜3メートル程度) からして、

漫画のメインになっている時代 (海面上昇は12メートル) まで、

たった50年で、10メートルもの海面上昇が
起こったことになります
から…





大規模な空港施設が
完全に無くなってしまう前に、

ターポンと、その管理人となれるアルファ室長を、
空に送り出すことこそが急務であり、

「今より耐久性の高い 新型」 を待つ余裕は、
人類には無かった
のではないでしょうか?














ハママツのラジオで 「無事に戻ってこれるように」
と言っていたことを考えますと、

ターポンというのは思っているほど
安泰なものではないと思います。





僕は、あの 104話 のラジオのセリフは、

ある意味 なまさん とは逆の意味で、

ものすごく切ないセリフ であったと見ています。





地上のラジオ局は、

『あそこには まだ 人がとじこめられているという話です』

と解説していました。










ですが これは、

「事実」 を知らない地上の人々の見方
だと思われます。




ターポンに搭乗している アルファ室長 は、
地上を見おろしながら、

搭乗している人間のおばちゃんに、
地上の見た感じを聞かれたとき、

『いきなりなくなる町ですとか… ちらほらと』

と、もらしています。




また、自分の妹・弟たちである、
地上の A7量産型 のことを思いながら、

『この先 あなた達と会うことは たぶん ないのだろうが
できれば しあわせでいてほしいと思う』


と祈っています。









そして何より、
この漫画を読んだ我々は、

この作中の人類が、
今後おそらく確実に滅亡することを、

さまざまな情報から感じています。





実際、最終話 近くで、
最後にアルファ室長が登場した 134話 では、

『夜の地上は もう まっ青に光っている』

(人間の生活がほとんど無くなり、
記憶キノコが模した外灯だけが灯っている)


とまで語られています。










それを考慮した上で、
104話の最後の3ページを読むと、

その切なさは格別です。





真実を知った上で、

「少しでも長く、生きのびてほしい…」 と、

切実な願いを地上にむける、

ただ1人生き残ることを義務づけられた アルファ室長 と、




真実を知らずに、

「また元気に戻ってきてくださいね!」 と、

気軽にターポンを見上げている、

滅亡が確定している 地上の人々


(ただし、子海石先生あたりは、
事実を察しているかもしれませんが)







『六年後にまた〜』 と、

同じような言葉を口にしている両者ですが、

セリフから推測される、
両者の認識の差異 と、

この3ページが表現している
『意味』 を考えたとき…



僕はこの場面は、
「ヨコハマ」の作中でも、

屈指の 『切なく、味わい深い名シーン』 だと

感嘆せずにおれないのです。














いつかやってくるかもしれない復活の日のために
動植物の DNA をはじめとする重要な情報の保管が
任務ではあるものの、

ターポンだけがそれを担っているのではなく、
いくつか他にも同じような施設や手段があるのではないでしょうか。





いや… 僕は残念ながら、
それは 「無い」 ように思います。


もちろん、万が一の可能性に賭けて、
サブ的なものを地上に作っている可能性もありますが、

メインはあくまでターポンと考えます。




この作品の人類は、やがて滅亡していきますが、
それは決して海面上昇だけが理由ではなく、

24話でふれているように、
「地震」 などの要素も絡んでのことのようですから、

やはり、地上に施設を置いておくのは
万全ではない
のでしょう…




だからこそ、

あれだけ大がかりな航空機を用意して、
成層圏に退避させる必要があった


のだと思います。













わたくしは地上のロボットの人たちが居なくなるとは考えてないんです。

彼女彼らはずーっとあのまま暮らしていくと思ってます。

むしろターポンのアルファー室長の方が
先に地上に降りてくるんじゃないかと思ってまして、

アルファさんやココネと再会するのを想像すると
ワクワクしちゃいます。w





もちろん、そうなってくれればうれしいですが、

(決して悲観論ではなく)
僕はその可能性は低いと見ています。




A7M2 → A7M3 の
機能制限(削除)に見られるように、

おそらく量産系である A7M2 以降は、
パーツにもそれ相当のものしか使用していないと思われ、

寿命についても、A7M1 より短いと考えられるため
です。


(それもあって アルファ室長は、
『 この先 あなた達と会うことは たぶん ないのだろうが 』
と語っていたのではないでしょうか?)









M2以降は、人類にとって
あくまで M1の副産物 の範囲であったように、
自分は考えています。



だからこそ、特別扱いはされず、
「人間と同様に」 生活していた
のではないでしょうか?


もし彼女たちが、
生存を第一目的 として作られたなら、

そういう防護のための施設が用意され、
その中で厳重に守られて生活しているように思うのです。



成層圏のアルファ室長が、そうであるように…






当作は、A7M2「初瀬野アルファ」を主人公として、
その視点から描かれている漫画ですので、

その主人公がいつか寿命を迎えて、
サブキャラ(アルファ室長)より先に死んでしまう…

と考えると、たしかに 違和感
感じてしまうかもしれませんが…




実は逆で、

「人類にとっての本当の主人公」 は、
『ただ1人のノア』 になることを義務づけられた
アルファ室長 のほう
であり、

その主人公のほうが、サブキャラより長く生きるのは、
なにも不思議ではないように思うのです。






実は 「ヨコハマ〜」 は、ちょっと珍しい、

『サブキャラの一人称視点で語られた作品』

だったのではないでしょうか?




それは、ちょうど、

ブラックジャックを ピノコ が語り、

ゲッターロボを 元気くん が語り、

カイジを 石田さん が語る
作品のように…


(…と、例を挙げながら、上記の3作品が
死ぬほど読みたくなった自分です(笑))














最後に、このターポンについて、

僕が 『芦奈野先生は、本当に凄い…』

と感嘆したのは、



ターポンの中に、
政治家やら権力者やらを乗せなかった点
です。

(ターポンの中に貯蔵した(と考えられる)DNA の選別において、
庶民と権力者で、有利不利があった可能性はありますが…)







この手の 滅亡モノ の作品では…

特にそれが、人生経験の浅い人の作品であればあるほど、


『政治家や権力者ばかりが、生き残ろうとした』

みたいな描写を加えて、

もって、

「ああ、これだから権力やお金は醜いwwww!」 みたいな、
『自分が普段 腹の中に抱えこんでいるのルサンチマンを
自分の作品中で正当化するような、痛々しい逃避』


を盛りこんだり、



そうした(安っぽい)描写を含むことで、

『作品にリアリティが増したwwwww』

みたいな勘違いを起こす、
2流以下の表現者(笑)がいるものですが…





ヨコハマには、それが一切 見られません。






では、そうした描写が無いから、
ヨコハマはリアリティが低い作品か…?

というと、むしろ で、


そうした安っぽい主張を加えないことで、
かえって作品に、

『目先の自分の生存など どうでもいいぐらいの、
壊滅的な絶望が、この作中の人類には待っているのだ…』


という雰囲気を与え、

ものすごく地に足のついた 絶望感 と 切なさ が、

作品にそなわったように思うのです。








戦争は、悲惨です。


災害は、やりきれないものです。





でも、それらをも凌駕する、

『自分たちの種の絶滅』 という、

圧倒的で根本的な絶望を突きつけられたとき、

人類は何を考え、何を実行したか






「ヨコハマ」 は 実は、

そんな 究極の問い に対して、
1つの回答を与えている作品 だと、

自分は思っています。






圧倒的な絶望 の果てに生まれるのは、

『 冷静な諦観 』 です。






「投げやりではない、究極の前向きな諦(あきら)め」

の境地に至った人類が、

『ターポンとアルファ室長を空の彼方に送る』 という、

自己犠牲を必要とする一方で、
最も人類存続の確率の高い手段 を、
冷静に選択した…






そう考えたとき、
僕は、この作品世界の人類に、

言葉では表せないほどの 深い敬意 を、

抱かずにはおれなくなるのです。









執筆 2015 / 05 / 21




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