(ネタバレがありますので、読む方はご注意を) ネット上の個人サイトでも、小説版の感想が散見されるようになってきたのですが… やはり、昔から読んでいるファンほど否定的な感想が多いようです。 批判箇所は概ね、「登場人物が少ない」「すでに漫画で読んだ内容をくりかえしているだけ」というもので、たしかに漫画を読んでいる人間にとっては『なぜ今さら?』という思いを抱くのも無理ないと思います。 原作140話で、ココネとともにカフェを営んでいるアルファさんの姿で幕を下ろした物語が記憶に新しいので、パラレルワールドと解釈して読むべし、との感想もうなずけます(苦笑) そもそも、昔からのファンの間で『事実上、公式』と言わしめるまで浸透していた設定解釈を、1人の小説家の視点で「NO」を突きつけたわけですから(芦奈野先生の監修が入っているとは思うのですが…)、結果的に彼らを敵に回す可能性は否めない内容と思います。 では、なぜ自分はこの小説に、昔からのファンほどの嫌悪感を抱かないのか? むしろ、好意の念を感じるのか? 自分が本腰を入れたのが、連載終了後の2006年10月頃からだから、新参ファンとしての親近感? いや、それでは「答えは半分」です。 僕が当作品から感じた好印象の1つに、『漫画版以上に現実味を増して整合性がとられた人物たち』があります。 原作漫画は連載であるため、当然そこには、読者の興味を維持することを念頭においた連載するための工夫が内在します。 それは例えば、アフタヌーン読者の中核である20〜30代男性が喜ぶ色々なタイプの愛らしい少女(ココネ・マッキなど)かもしれません。 いや、彼女たちが読者を釣るエサであったかどうかは、この際どうでもいいのです。 重要なのは、プロである以上、作者にとっては不本意な『連載維持のためのファクター』も大なり小なり要求される現実。 そして、それによって生まれる不整合性です。 それを前提に、ここで大胆に仮説します。 いいですか? 全くの仮説であることを念頭に読み進めてくださいね。 小説の作者香月さんは、『1クリエイターとして、作品内の不整合の修正に挑戦してみたかった』のではないでしょうか? 「ヨコハマ買い出し紀行」はすでに連載が終了しているため、作者さんから展開された情報は、ある意味すでに全て手中にあります。 そして、丁寧に練られた作品ではありますが、連載と作品内の楽園性を維持するために色々な不整合(矛盾)をあえてサラリと描いていることも(香月さんを含む)冷静な読者には見えています。 では、小説版はどうか? 1発販売ですから連載は気にしなくてもイイので、ある程度冒険ができる。 しかも書き手に、クリエイターとしての気骨があったとしたら… 原作者の用意してくれた世界で、存分に胸を借りつつ、自分の力量を解放したい! と考えるのは、無理のない話ではないでしょうか? 香月さんがその時目指そうと決意したのは、『原作以上に整合性の取れた心理描写』による、コミックス全14巻の再現。 そして、それを成すために必要最小限にしぼった登場人物は、アルファ・タカヒロ・おじさん・子海石先生・ミサゴ・初瀬野先生でした。 それは奇しくも、第1巻の前半からの主要登場人物。 ある意味、芦奈野先生自身が「これだけいれば、現時点での自分の言いたいことは言える」と想定して歩き始めた頃のキャラクタだけで構成されているのです。 この6人の心情を深く掘りこむことだけに注力した物作りは、イコール、初期の芦奈野先生が目指しつつも連載漫画家として断念せざるを得なかった理想(本意)の具現化であり、これ以上は無いほどの真っ向勝負と言えるのです。 あるいは、これこそが正に芦奈野先生の監修なのではないでしょうか? 「僕が当初本当に描きたかったのは、この6人だけなんですよ。 だから、彼らの心情のみを丁寧に掘り込んだ小説、期待していますよ。」 との依頼が香月さんに託されたのだとしたら… 僕らは、この小説版によって、ついに作者芦奈野ひとしさんが 本来目指した「ヨコハマ買い出し紀行」に辿り着いたのだと言えます。 それは連載終了2年をもって、作品への客観性が増したからこそ成し得た 『始まりのための決着』。 生まれ故郷ハママツを離れることで、眠るアルファさんの記憶から過去の真実を知ったオメガのように… 漫画版を離れた当作品によって、芦奈野先生のかつて目指した真実を、僕らは目の当たりにしたのかもしれません。 …というのが僕の仮説です。 先述のとおり新参ファンであり考察好きの自分なので、香月さんの立場に必要以上に感情移入し、美化が入っていることは認めます(笑) でも、このような視点であらためて読み直してみると、合点がいくというか「これもアリだよな」という思いが、今まで以上にシックリと胸に収まる。 小説というメディアを通じた、長寿漫画への挑戦と尊敬。 それが、『−見て、歩き、よろこぶ者−』なのではないでしょうか? 『Aタイプの歴史』を創作することで芦奈野先生に(一方的に)胸を借りた自分は、この小説とその作者に、好意と親近感を抱かずにはいられないのです… (執筆 2008/10/24) |