■『坂月さかな × 芦奈野ひとし』
    対談 感想文(2/5)

(ここには、対談記事 1ページ目 の発言についての
僕の感想が まとめてあります)




 芦奈野ひとし
 『風景が描きたくてマンガを
  描き始めたところがありまして』


ヨコハマファンの多くが
当作品を『空気漫画』と 称し、
(その架空の風景の中に流れる「空気」までも、
読む者に伝えてしまう漫画)


対談者である坂月さんも
おっしゃっている通り、

『ヨコハマ買い出し紀行』で
描かれている風景
には、
他の漫画とは明らかに異なる
「圧倒的な存在感」
があります。



それは、
単に写実的という意味ではなく、

『その風景を通して
自分が体感したもの(主観)』

を 細かく記憶した上で、

『その空気を描くために必要不可欠な
最小限のパーツ』

巧みに選別する、

芦奈野先生ならではの
奥深い 技 によるものと
考えます。



だから、燃えさかる夏の太陽からは
「どかーー」というSEが鳴ります
し(笑)、





台風一過のカフェアルファへの帰り道では、
流線は1本も描かれず
(自然物は)無音にもかかわらず、
アルファさんの髪と 舞い散る草、傾く草木などから、
私たち読み手は「暑く湿った風の流れ」
自然と体感する
のです。





ここまでの こだわりは、
『本物の 風景好き』
でなければ成しえません。

その事実を
ご本人の口から聞けたことが、
とても うれしい のです (^^




 芦奈野ひとし
 『こんな風景が描きたいな
  とかが先で、後から(中略)
  設定を考えていたんです。
  整合性とは真逆の、
  割とゆるい作りなので(後略)』


この一文は、
ショック でもあり、
ホッとした 面もある言葉でした。



「ショック」というのは…

あれだけ(他作品の平均に比して)
整合性の取れている作品 なのだから、

きっと 芦奈野先生は
『最初に大ざっぱにでも
「全て」設定を決めておいて、
作中で それを小出しにする作家さん』
だと、
信じ込んでいたからです。



一方で「ホッとした」のは…

僕は自分のサイトで
「舞台となった現実の風景」以外にも、
「作品の設定」関係についても
少し考察している
のですが、
( 一例 → 『新・アルファタイプの歴史』

ときどき
『どう考えても うまくつながらない要素』
が 出てきてしまっていたからです。



自分は 今までそれを、
「僕の、作品への読解力や推理力が
足らないからなのか…」

気落ちすることも多かったのですが、


今回の お話を伺って、

「あるいは先生も、ここの整合性には
それほどこだわらなかったという事だろうか?」

と 思える 余地 ができて、
気が楽になったように感じた のです。




 芦奈野ひとし
 『皆さんが いろいろ
  考察してくださって、
  その設定のほうが
  ガチっとハマっていて驚いたり』


もし、うちの考察 の どれかについて、

芦奈野先生に そんな風に
思ってもらえていたとしたら、

これほどファン冥利に
尽き切ることはない
のですが…


一方で、
「もしや自分、的外れな考察を書いてしまっていて、
芦奈野先生が ご不快に思われているのでは…?」

と、心のどこかでヒヤヒヤしていたりもします。



それだけに、
1つのコンテンツを書くたびに、
自分の手の届く範囲で 徹底的に
「裏取り」はしている
つもりなのですが、

15年やっていても、
この感覚は無くなりません(苦笑)





[対談 感想文(3/5)に 続く]

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